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(S13)また、女王陛下の訪問もありました。
(S14)88年に展示場もこのように5つのホールを備えてでき上がりました。
(S15)2万5,000平米の広さです。
(S16)今、拡張も言われているところであります。
(S17)コンベンションセンターの写真ですけれども、3,500人ぐらいの会議が開催できるということであります。
(S18)ハーバーサイド・フェスティバル・マーケットです。ほとんどの方はフェスティバル・マーケットブレースのコンセプトを御存じだと思いますけれども、これもボルティモアのマーケットプレースを模したものと考えていただければと思います。
(S19)マーケットプレースは、実際ダーリングハーバーの初期の段階の象徴のようなものになりました。
(S20)海洋博物館、これは連邦政府と州政府の資金で建てられました。
(S21)ピアモント・ブリッジの再建、そしてモノレールの建設がありました。モノレールも非常に議論を呼んだものでありました。シドニーの市民たちはモノレールのための柱が邪魔になるということで、かなり文句が出たところもありました。
(S22)これもピアモント・ブリッジの再建の様子です。
(S23)群衆です。
(S24)初期の段階です。
(S25)そして、チャイニーズガーデン。これも広東省との協力のもとでつくられました。
(S26)フェリーサービス、チャーター船のサービス、これもダーリングハーバーの船着場の様子です。
(S27)1988年の夢の実現というのは、余り長く続きませんでした。89年には景気後退が始まりました。シドニー、そしてシドニーをめぐる投資環境がだんだん悪くなっていきました。そこで、革新を目指して問題の解決を図ろうとしたわけですけれども、しかしながら民間開発のプロジェクトが次々と頓挫していきました。このスライドの前の方に見られるのはテニスコートです。このプロジェクトといいますのは、掘削が始まった段階で、穴ができた後にディベロッパーがもはやそれを続けることができないということになりまして、穴だけが残ってしまったということであります。もちろんこういったものを没収し、そしてディベロッパーを破綻させるよりは、銀行を説得して450万ドルを出資してもらって、一時的にこれを再生してもらいました。そこで、バスケットボールやテニスコートを当座の形で入れてもらったということであります。ただ、何年か後にこのディベロッパーがそのオプションを行使したいということで、ここの開発をさらにもう一度進めたいと言って戻ってきたときには問題に直面しました。ウォーターエッジにこういったものがあればいいわけですけれども、しかしながら、経済的には余りうまくいかないもの

 

 

 

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